降臨節第2主日

主の来臨を目の前にしてヨハネが洗礼を授ける場面

イエス様をいつ迎えてもいいように
イエス様に向かい、
祈ること

AT


  


2019年12月08日at 11:03 │Posted by 首里聖アンデレ │Comments(0)説教の感想

教会の新年

今はお祝いと日常の区別があまりなくなっている。今はお祝いが沢山あって、お祝いの日常化が進んでいる。

教会ではクリスマスが新年のように感じるが、イエス様の誕生を迎える準備を始める今日が一年の始まりである。

人の子が来る前はノアの時と同じだと、今日の福音書にある。その時は誰にもわからないから。思いがけないことが起こる時、人は「まさか」と思う。

「だから、目を覚ましていなさい。」
「だから、あなたがたも用意していなさい。」と、聖書にある。

互いに愛し合い、
神様に心を向け、
イエス様の降臨に備えよう。

AT  


2019年12月01日at 11:00 │Posted by 首里聖アンデレ │Comments(0)説教の感想

すべての人が救われますように

教会のカレンダーは、イエスの誕生を待つ降臨節の前の主日、降臨節前主日で次のサイクルに続く。

今日の聖書は、イエスが十字架につけられる前に人々がイエスを嘲る箇所。

イエスを偽物と疑った人たちは、イエスを罵ったが、一緒に十字架につけられる強盗の一人は「神をもおそれないのか」と、自分の罪を認めイエス様に憐みを求めた。そして、イエス様は「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と、この強盗を受け入れられた。

神様の大きな愛。

ところで、もう一人のイエスを侮辱した強盗はどうなったのか。

イエス様は限られた人を救うためにいらっしゃるのではない。イエスを侮辱した人たちをも救うために十字架につけられた。

すべての人がイエス様によって救われる神の国が実現しますように。

AT  


2019年11月24日at 11:48 │Posted by 首里聖アンデレ │Comments(0)説教の感想

教会は大丈夫です。

今朝、首里城が焼失しました。
とても残念なことです。

でも、教会は大丈夫です。
今、懸命に消火活動を行なっている方々の働きを神様がお守りくださいますように。

AT  


2019年10月31日at 07:27 │Posted by 首里聖アンデレ │Comments(0)

義とされること

今日の福音書は「自分が正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。」と始まった。

そのあとファリサイ派の人々の話をされたので、私たちはまるでファリサイ派の人たちが良くないかのように思ってしまうけれど、ファリサイ派の人たちのように私たちが模範的な生活をすることは難しい。しかしたった1つ、「この徴税人のようでないことを感謝します」と祈ったことで、罪人である自分を憐んでくださいと祈った徴税人と違って義とされなかった。

自身の罪の許しを神に求め、隣人を愛することができますように。

AT

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2019年10月27日at 11:48 │Posted by 首里聖アンデレ │Comments(0)説教の感想

重い皮膚病を患っている十人の人をいやす

重い皮膚病を患っている人達10人が遠くからイエス様の憐れみを求めた時、イエス様は祭司達のところに行くように言った。その道の途中で、その人達は清められた。

イエス様の言葉を信じて祭司の元に行った10人の人たちの信仰が、恵みに繋がった。

1人だけ、サマリア人がイエス様の元に感謝して戻ってきた。

救いの完成系は感謝と賛美。
いつでも、私たちの務めである感謝と賛美をもってイエス様の道を歩くことができますように。

AT  


2019年10月13日at 11:45 │Posted by 首里聖アンデレ │Comments(0)説教の感想

信仰をどうやって表すか

私たちは神様の言葉を預かっているので、一人一人の中にあるイエス様の言葉を集めて、思慮分別のある励ましの言葉を表すこと。

AT  


2019年10月06日at 11:03 │Posted by 首里聖アンデレ │Comments(0)説教の感想

弟子の条件

自分の親兄弟や子供よりもイエス様を愛さなければ、イエス様の弟子ではない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、弟子ではありえない。

厳しい条件のように感じる。

でも、誘惑にとらわれる日常の中で、イエス様の愛の道を一番に、進んでいければと思う。

AT  


2019年09月08日at 11:03 │Posted by 首里聖アンデレ │Comments(0)説教の感想

狭い戸口

「主よ、救われるものは少ないのでしょうか。」という問いに
「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ」と、イエス様は答えられた。

イエス様は、イスラエルの人たちに向かって言われた。
アブラハムの子供だからといって、皆が救いにあずかれるわけではないと。

私たちはクリスチャンだから救われているけれど、本当に救われているかと問う人も多い。
苦しみのなかにあるとき、希望がないように見えるとき、教会に来ない人もいる。

日常に私たちを取り巻く色々な思いは置いて、イエス様の道が続く狭い戸口から入るように努めよう。

AT

  


2019年08月26日at 10:07 │Posted by 首里聖アンデレ │Comments(0)説教の感想

分裂をもたらす

「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。」
「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。」

分裂は神様からの鍛練。
いろいろなことがあった後に、浄化されて、イエス様の道にまっすぐに立つことができる。

裁きと祝福はいつも一緒にある。
裁かれることによって初めて赦しを得ることができる。

AT  


2019年08月18日at 11:09 │Posted by 首里聖アンデレ │Comments(0)説教の感想