主の手が短くて救えないのではない。

去る主日の旧約聖書は イザヤ書 59-1--4 9-19

主の手が短くて救えないのではない。
主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。むしろお前達の悪が、神とお前達の間を隔て、お前達の罪が神の御顔を隠させ、お前達に耳を傾けられるのを妨げているのだ。お前達の手は血で、指は悪によって汚れ、唇は偽りを語り、舌は悪事をつぶやく。正しい訴えをする者はなく、真実をもって弁護する者もない。
むなしい事を頼みとし、偽って語り、労苦をはらみ、災いを産む。

司祭は説教の中で、イザヤ書の御言葉は、私達人間の神への信仰にもとずいた愛の足りなさ。神様は私達人間をとても愛しておられるのに、私達の心の目、肉の目、霊の目が閉ざされているため、見る事、知る事が鈍くなっていて、神様の愛を知らないし理解出来ないでいると話された。

聖歌470
人の目にはすべなしと見ゆるときも、主は必ず良き道をば備えたもう。
我は信ず、主必ず整えて与えたもう。

私達は何事をも主に依り頼めば、神様は責任を持って全て良いように取り計らって下さると約束されました。しかし目に見えない神様をつい忘れて、目に見える物に依り頼む傾向がありますね、そんな時、この聖歌の詩を深く味わいながら、口ずさみ心から主に全てをお任せしましょう。FO

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