見ないのに信じる人は、幸いである

今日の福音書は、ヨハネによる福音書20:19-31でした。

復活したイエス様が、弟子たちに現れたときのことが書かれています。

後半部分には十二弟子の一人、トマスのことが書かれています。トマスは、復活のイエス様が多数の弟子たちの前に来られた時に一緒にいなかったので、「十字架に付けられたイエス様の傷を見て触ってみなければ、決して信じない」と言っていました。しかし、そのトマスの前にもイエス様が現れて、トマスは信じる者に変えられました。そして、イエス様からトマスにたいして、「私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」という言葉が投げかけられています。

トマスの疑いは、私にとって、とてもわかりやすく、共感できます。その様な疑いを持つトマスでさえも、信じる者に変えてくださったことを知って、ホッとした気持ちになります。

私が信じる者であるという確信を持つことができる瞬間が、確かにあります。それは、神様が私たちと一緒に居てくださるという、理屈では説明できない、実感を持つ瞬間です。その実感の一例は、4月6日付の「父の葬送式で思い出したこと」という記事の中に書いた通りです。

NCO



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