ヤコブとヨハネの願い

ゼベダイの子ヤコブとヨハネは、イエス様がエルサレムで栄光をうけるときに右と左に座らせて欲しいとイエス様にお願いをする。この時、イエス様が受けられる受難について、イエス様が3回も予告したにもかかわらず、弟子たちは理解していなかったのだろう。

イエス様は、「このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか」と聞かれた。弟子たちは、できると答える。それが、受難のことであるとは理解していなかったのではないか。

のちに、弟子たちは、強められて、たしかにこの時予告された受難を受けることになる。
理解していなくても、神様に対して「できます」ということで、神様から強められることもあるのだろうか。

このヤコブとヨハネの願いを聞いて怒り出した他の10人の弟子を見て、その人間らしさに少しホッとする。

偉い権力者のように振る舞いたがる弟子たちを見て、イエス様は、
「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来たのである。」とご自分の姿勢を伝えられた。

弟子たちのようになってしまう私達。
反省しつつ・・・。

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